RNAは治療標的になるか? ― 科学と産業の最前線から考える

ここ数年、「RNAは治療標的になり得るのか?」という問いが生命科学と創薬の世界で熱く議論されています。これまで薬の主な標的はタンパク質でした。しかし、ゲノム研究の進展やRNAワクチンの成功を背景に、RNAそのものを直接狙うアプローチが脚光を浴びています。

RNAは単なる遺伝情報の伝達者ではありません。分子としてのRNAは、柔軟に折り畳まれて多様な二次構造・三次構造をとり、それが翻訳効率やスプライシング、安定性に直接影響します。つまり、RNAは「情報+構造+機能」の三位一体の分子です。この性質を薬で制御できれば、これまで治療が難しかった疾患に新しいアプローチを提供できるかもしれません。

本記事では、RNA二次構造の科学的背景から始め、疾患との関連、成功事例、撤退例、現在のバイオテック活動、in silico技術の貢献と限界を詳しく解説します。そして最後に、RNA創薬の未来について私自身の展望を述べます。

目次

RNAを標的にする発想の基盤

RNA二次構造の基本

RNAは塩基対形成によって、さまざまな二次構造をとります。代表的なものはヘアピン(一本鎖が折れ返ってできる構造)、ステムループ(塩基対が柱となる構造)、擬結び(pseudoknot)と呼ばれる複雑な絡み合い構造です。これらはただの形ではなく、分子機能を担う「スイッチ」のような役割を果たします。

例えば、あるmRNAの5’UTRに形成されるステムループがリボソームの結合を阻害することがあります。このステムループが温度や代謝状態の変化で解けると、リボソームが結合できて翻訳が開始されるのです。RNAは静的なコードではなく、環境応答型の「ダイナミックな制御分子」だと言えます。

疾患との関連

近年の研究により、RNA二次構造の変化が疾患に直結する事例が次々と明らかになっています。

  • がん:MYC mRNAの内部リボソーム進入部位(IRES)は複雑なステムループ構造を形成し、翻訳を促進。これを阻害できれば腫瘍増殖を抑制できる可能性があります。また、テロメラーゼRNA(TERC)の誤折りはがんや老化に関連します。
  • 神経疾患:C9orf72遺伝子のリピート配列は異常なヘアピンやG-quadruplexを形成し、ALSや前頭側頭型認知症を引き起こします。FMR1遺伝子のCGGリピートによる二次構造は脆弱X症候群に関与します。
  • 感染症:SARS-CoV-2のフレームシフト制御エレメント(FSE)は擬結び構造をとり、ウイルス複製に不可欠です。この構造を薬で壊せば、ウイルス増殖を止められると期待されました。

成功した実例

抗生物質 ― 古典的RNA構造標的薬

実はRNAを標的とする薬はすでに存在します。マクロライド系、アミノグリコシド系、テトラサイクリン系抗生物質はリボソームrRNAの特定構造に結合して翻訳を阻害します。数十年にわたり臨床で使われ続けているこれらは「RNA創薬の先駆的成功例」と言えます。

Spinraza ― SMA治療のブレークスルー

Biogen/Ionisが開発したSpinraza(ヌシネルセン)は、脊髄性筋萎縮症(SMA)の治療薬です。SMAはSMN1遺伝子の欠損によって生じますが、人間にはSMN2という類似遺伝子が存在します。しかしSMN2はイントロン内のヘアピン構造のせいでエクソン7が飛ばされ、正常なタンパク質が作られません。SpinrazaはASOを用いてこのヘアピンを解き、スプライシングを修正するのです。RNA二次構造を治療標的とした臨床成功例として歴史的です。

RNAワクチンとsiRNA

COVID-19パンデミックで登場したmRNAワクチンもRNA構造を意識した設計の成果です。5’UTRやコドン使用を最適化することでRNAの安定性と翻訳効率を高めています。また、AlnylamのOnpattro(patisiran)はsiRNAでmRNAを直接分解し、ポリニューロパチーを治療しました。これらはいずれも「RNAを直接治療に利用する」実用化例です。

撤退や挫折の事例

一方で、RNA二次構造を直接狙う小分子創薬は困難を極めています。RNAは構造が柔軟で、タンパク質のように安定した結合ポケットを持たないからです。

MerckはかつてRNA創薬部門を大きく縮小しました。NovartisもRNA生物学の一部プログラムを整理しました。バイオテックの中でも、RibometrixはPfizerとの提携を結んだものの進展不足で縮小し、Arrakis Therapeuticsも大きな期待を集めましたが臨床段階には未到達です。投資家の期待と現実のギャップが浮き彫りになっています。

現在進行形の最前線

  • 感染症分野: SARS-CoV-2のフレームシフトエレメントを標的にしたASOや小分子の探索がMIT、Stanfordを中心に進められました。
  • がん領域: MALAT1やHOTAIRといった長鎖非コードRNA(lncRNA)の構造が治療標的候補です。MYC mRNAのIRES阻害も進行中。
  • バイオテック: Arrakis TherapeuticsはRNA small molecule創薬に特化し、Storm TherapeuticsはRNA修飾と構造変化を狙っています。Skyhawk Therapeuticsはスプライシング制御ASOをがん・神経疾患向けに展開しています。

In silico 活動の貢献と限界

貢献

コンピュータ予測はRNA創薬の初期探索を支えています。RNAfoldなどのアルゴリズムは二次構造を予測し、Boltzmann分布を利用して確率的に構造アンサンブルを評価できます。AIは疾患変異が構造に与える影響を学習し、疾患RNAを候補として抽出できます。さらに、in silicoスクリーニングによりRNAポケットに結合し得る分子を数百万種の中から選別可能です。

限界

しかしRNAは動的な分子です。細胞内ではタンパク質やイオン、代謝エネルギーの影響を受けて常に揺らいでいます。そのため静的な予測モデルでは実際の構造挙動を十分に再現できません。実験的な化学プロービングやSHAPE解析を組み合わせることが不可欠です。

今後の展望

私はRNA創薬の未来に3つの方向性を見ています。第一に、ASOやsiRNAに続いてRNA構造を直接狙う小分子薬が登場するでしょう。第二に、RNA構造変化を診断マーカーとして利用し、個別化医療が発展します。第三に、AIと実験の統合により「生きたRNA構造」を捉える技術が確立されるでしょう。

私の思い

RNAは長らく「不安定で薬にしづらい」とされてきました。しかし私はむしろその柔軟さこそが治療可能性の源泉だと考えます。SpinrazaやmRNAワクチンの成功は、RNAが現実的な創薬の柱になり得ることを証明しました。撤退例は課題の厳しさを示しますが、それでもRNA構造を標的にした創薬は新しい道を切り拓くと信じています。

RNAはまだ未踏のフロンティアです。その開拓には時間と失敗が伴いますが、挑戦する価値は大きい。私はRNA構造創薬が疾患克服の突破口になることを強く期待しています。

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この記事はMorningglorysciencesチームによって編集されました。

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この記事を書いた人

大学院修了後、米国トップ研究病院に留学し本格的に治療法・治療薬創出に取り組み、成功体験を得る。その後複数のグローバル製薬会社に在籍し、研究・ビジネス、そしてベンチャー創出投資家を米国ボストン、シリコンバレーを中心にグローバルで活動。アカデミアにて大学院教員の役割も果たす。

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