ここ最近数ヶ月の大型ファーマディールを眺めていると、オンコロジーと並んで存在感が際立つのが肥満症・MASH・代謝疾患のクラスターです。GLP-1 受容体作動薬を中心とする「肥満薬ブーム」がすでに世界的なトピックとなっていますが、その周辺では、心血管・肝臓・腎臓といったリスクをまとめて管理しようとする、より大きな戦略が動き出しています。
本記事は「ここ最近数ヶ月の大型ファーマディール総覧シリーズ」の第3回として、この肥満・代謝クラスターにフォーカスします。特に、Pfizer–Metsera と Roche–89bio などのディールを念頭に、GLP-1 ブームの「第2幕」としてどのような戦略が展開されているのかを整理します。
1. なぜ肥満・代謝領域を独立して取り上げるのか
1-1. 単一疾患ではなく「リスクの塊」として見直されている
肥満症は、かつては「生活習慣の問題」として矮小化されることも多い疾患でした。しかし現在は、
- 2型糖尿病
- 心血管疾患(心筋梗塞、脳卒中など)
- MASH(代謝機能障害関連脂肪性肝疾患)
- CKD(慢性腎臓病)
といった複数の疾患リスクが重なり合う「リスククラスター」として捉え直されつつあります。つまり、肥満そのものと同時に、その周辺にぶら下がる合併症リスク全体が、ひとつの巨大な市場として立ち上がりつつあるわけです。
1-2. GLP-1「だけ」を見ていると見誤る構造変化
ここ最近のニュースでは、どうしても GLP-1 系薬剤の売上とシェア争いに目が行きがちです。しかし、ここ数ヶ月の大型ディールを見ていると、各社が狙っているのは、単純な「GLP-1 追いかけ」ではありません。
- GLP-1 だけでカバーできない部分(脂質、肝臓、心血管イベントなど)の補完
- GLP-1 との併用やシーケンスを前提とした、新しいポジショニング
- 長期的には、肥満+CVRM(Cardiovascular / Renal / Metabolic)を統合した「包括的なリスク管理パッケージ」の構築
といった、より広い視点での動きが見えてきます。そこで本記事では、「GLP-1ブームの中で何が起きているか」ではなく、「GLP-1ブームのその先に何を見据えているのか」という観点から整理していきます。
2. ここ最近数ヶ月で象徴的な肥満・代謝ディール
まず、本記事で主に念頭に置くディールを簡単に整理しておきます。
- Pfizer – Metsera:肥満症・代謝疾患を対象としたパイプライン取得を目的とする大型ディール。GLP-1 系だけでなく、複数のメカニズムを含むポートフォリオ構築の一環と捉えられます。
- Roche – 89bio:FGF21 アナログ pegozafermin を中核とする MASH・脂質代謝クラスターへの集中投資。心血管・肝疾患のハブとしての位置づけも意識されているディールです。
この2つのディールは、いずれも GLP-1 の成長を前提としながら、その「周辺にある巨大な未充足ニーズ」を取りに行く動きとして捉えると、非常にわかりやすくなります。
3. Pfizer–Metsera:GLP-1 後発組の「第2の入り口」戦略
3-1. GLP-1 で出遅れた立場からの巻き返し
GLP-1 / GIP 系の肥満薬では、先行する数社がすでに強力なポジションを築きつつあります。その中で、後発組は「完全な後追い」ではなく、
- 差別化されたメカニズムや投与形態
- 特定の患者セグメントに強みを持つプロファイル
- GLP-1 との併用・シーケンスで価値を発揮するポジション
などを模索している状況です。Pfizer–Metsera のディールは、まさにその一例として位置付けられます。
3-2. 単一メカニズムではなく「メタボリック・バスケット」を押さえる発想
Metsera のパイプラインは、GLP-1 だけではカバーしきれない代謝・体重管理の側面にアプローチする候補群を含んでいると理解できます。重要なのは、
- 「これ1剤で肥満のすべてを解決する」という発想ではなく
- 肥満・糖尿病・脂質異常・心血管リスクをまとめて管理するための「メタボリック・バスケット」を構築する、という視点
です。これは、単一プロダクトの勝ち負けではなく、ポートフォリオ全体としてどう患者のリスクプロファイルを変えるかというゲームに移行しつつあることを示しています。
3-3. 投資家目線から見たディールのポイント
投資家や事業開発担当の視点からすると、この種のディールでは次のような点が重要になります。
- GLP-1 先行勢の「穴」をどこまで埋められるデザインになっているか
- 体重減少だけでなく、心血管イベントや腎機能保護といったハードエンドポイントで差別化できる可能性があるか
- すでに市場にある治療薬との組み合わせで、経済性(コスト/QALY)を含めた価値提案ができるか
ここ最近数ヶ月の動きからは、単なる「GLP-1 のコピーを揃える」よりも、「GLP-1 を軸にポートフォリオ全体を再設計する」という意図が強く感じられます。
4. Roche–89bio:MASH・脂質・心血管をつなぐFGF21戦略
4-1. MASH を「肝臓だけの病気」と見なさない
Roche–89bio のディールは、FGF21 アナログ pegozafermin を中核としていますが、その戦略的な意味は「MASH という新市場への参入」にとどまりません。むしろ、
- 肥満・インスリン抵抗性・脂質異常・肝脂肪・炎症
といった、複数の要素が絡み合う代謝シンドローム・クラスター全体をどうマネジメントするか、という問いへのひとつの答えとして位置付けられます。
4-2. FGF21 アナログの特徴とポジショニング
FGF21 アナログは、単に肝脂肪を減らすだけでなく、
- トリグリセリド・コレステロールなど脂質プロファイルの改善
- 体重やインスリン感受性への影響
- 心血管リスクに関わる複数のマーカーへの作用
といった、多面的な効果が期待されるモダリティです。GLP-1 とは異なるメカニズムで代謝制御に働きかけるため、
- GLP-1 単剤では十分に改善しない患者への選択肢
- GLP-1 との併用による相補的な効果
といったポジションを狙うことも可能です。
4-3. CVRM(Cardiovascular, Renal, Metabolic)という大きな枠組みの中で
Roche を含む多くの製薬企業は、糖尿病・肥満・脂質異常・心血管疾患・腎疾患といった領域をまとめてCVRM として捉え、自社ポートフォリオを再設計し始めています。89bio のようなアセットは、
- 肝疾患(MASH)という新興領域への足がかり
- 脂質・炎症・心血管リスクを横断的に改善するツール
として、CVRM 全体の中に組み込まれていきます。この視点で見ると、ディールの狙いがより立体的に理解しやすくなります。
5. GLP-1 ブームの「第2幕」とは何か
5-1. 体重減少だけでは勝負がつかないフェーズへ
GLP-1 系薬剤の初期フェーズでは、「どれだけ体重が減るか」「どれだけ HbA1c が下がるか」といった指標が、主な競争軸でした。しかし、ここ最近数ヶ月のディールは、次のフェーズに入っていることを示唆しています。
- どれだけ心血管イベントを減らせるか
- どれだけMASH・肝線維化の進行を抑えられるか
- どれだけ腎機能の低下を遅らせられるか
といった、よりハードなエンドポイントが、差別化の鍵になりつつあります。ここに、FGF21 アナログや他の新規モダリティが入り込む余地があります。
5-2. 「減らす」だけでなく「維持する・戻さない」ための設計
肥満治療の難しさのひとつは、「減らす」だけでなく「維持する」ことにあります。GLP-1 によって短期的に体重が減っても、投与を中止すれば再増加してしまうケースも少なくありません。
ここ最近のディールを見ると、
- 長期的に続けやすい投与スケジュール
- QOL を維持したままリスクをコントロールできるプロファイル
- 体重だけでなく、心血管・肝・腎リスクの「再増悪」を抑える設計
といった、「戻さない」「維持する」ための長期戦略を前提にした投資が強く意識されているように見えます。
6. 投与経路とアドヒアランス:肥満・代謝領域特有の観点
6-1. 経口薬・週1回注射・デバイス併用など、多様な選択肢
肥満・代謝領域では、投与経路と頻度がアドヒアランスに直結します。患者はしばしば長期にわたり治療を継続する必要があり、
- 毎日内服
- 週1回または隔週の皮下注射
- デバイスやパッチ型の投与形態
など、さまざまな選択肢が検討されています。ここ最近数ヶ月のディールでも、単に「効き目」だけでなく、
- どの投与形態が、どの患者層にとって現実的か
- 医療リソース(外来・注射室)の負荷をどう抑えるか
といった観点が、条件設計や開発プランに影響していると考えられます。
6-2. アドヒアランスを前提にした「実装可能なイノベーション」
理論的に優れたメカニズムでも、「現実に患者が続けられない」のであれば、その価値は大きく目減りします。肥満・代謝領域は、まさにこの点が厳しく問われる領域です。
そのため、
- 副作用プロファイル(悪心・嘔吐・下痢など)
- 体重減少のスピードと患者の心理的負担
- 日常生活・仕事との両立のしやすさ
といった要素を含めた「実装可能なイノベーション」であるかどうかが、投資判断やディール評価の鍵になっています。ここも、単なるエビデンスだけではなく、生活者目線での視点が重要になります。
7. 投資家・事業開発担当から見た肥満・代謝ディールの読み解き方
7-1. どのリスククラスターをカバーするディールなのか
肥満・代謝領域のディールを評価するときには、そのディールがカバーしようとしている「リスククラスター」がどこまで広いのかを意識する必要があります。
- 肥満+糖尿病のみを主ターゲットとしているのか
- 肥満+糖尿病+脂質+心血管イベントまで含むのか
- さらに肝疾患(MASH)や腎疾患(CKD)まで視野に入れているのか
リスククラスターが広ければ広いほど、臨床開発の難易度や時間軸も伸びる一方で、長期的な価値のポテンシャルも大きくなります。ここ最近数ヶ月の大型ディールは、比較的「広めのクラスター」を意識したものが多い印象です。
7-2. 「単剤勝負」か「組み合わせ前提」か
もうひとつ重要なのは、ディール対象となるアセットが、
- 単剤で既存治療に正面から挑む設計なのか
- GLP-1 などとの組み合わせ・シーケンスを前提とした設計なのか
という点です。後者の場合、治験デザインや実際の使用シナリオはかなり複雑になりますが、その分、現実の臨床現場にフィットしやすい戦略であるとも言えます。
8. 研究者・臨床医・スタートアップにとっての含意
ここ最近数ヶ月の肥満・代謝ディールから見えてくる示唆を、立場別に整理してみます。
- 研究者にとって: 単一の標的だけでなく、複数の臓器・複数の代謝経路が絡むシステムとして肥満・代謝を捉える視点が重要になります。肝臓・脂肪組織・筋肉・心血管系・腎臓などの相互作用を、どのレベルで解像するかが鍵になります。
- 臨床医にとって: 体重・HbA1c・脂質・肝酵素・eGFR といった複数のパラメータを同時に見ながら、どの薬剤をどの順番で、どの組み合わせで使うかを設計する必要が出てきます。患者ごとのリスクプロファイルに応じた「個別CVRMマップ」のような考え方が求められます。
- スタートアップにとって: 「新しい肥満薬」というより、「肥満をハブにしたリスク管理」にどう貢献できるか、というストーリーが重要になります。単独でブロックバスターを目指す発想だけでなく、大手製薬企業の CVRM ポートフォリオの中で、どのピースを埋める存在になりうるかを意識したポジショニングが求められます。
9. 今日の私の視点と今後の展望
肥満・代謝領域のディールをまとめて眺めてみると、「痩せる薬」が話題になっているだけの状況とは、すでにかなり違うフェーズに入っていることを実感します。体重減少という分かりやすい指標の裏側で、本当の資金の流れは、心血管イベント、肝線維化、腎機能低下といった、よりハードで長期的なアウトカムに向かっています。ここ最近数ヶ月のディールは、そのギアチェンジを象徴しているように見えます。
一方で、現実の生活の中で治療を続ける患者さんにとっては、「どの薬を打つか」よりも、「この治療を続けた先にどんな生活が待っているのか」の方が、はるかに切実な問いだと思います。仕事や家族との時間、食事や運動のスタイル、自分の身体に対する感覚——そうしたものを大きく変えすぎずにリスクだけを下げていくことが、本当に意味のある治療だとすれば、開発側・投資側はそこまで含めて想像力を働かせる必要があります。本シリーズの肥満・代謝編が、疾患リスクと生活の両方を見ながら戦略を考えるための、ひとつのきっかけになれば嬉しく思います。
この記事はMorningglorysciences編集部によって制作されました。
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