第1回では「なぜ今、ADC争奪戦なのか?」という問いから、がん治療モダリティの中でのADCの位置づけと、 Enhertu以降に起きたパラダイムシフト、プレイヤー構図の全体像を整理しました。 第2回では、「抗体・ペイロード・リンカー・コンジュゲーション」という構造面から、 第一〜第三世代ADCの違いと、Enhertu世代の意味を解説しました。
第3回となる本稿では、視点を「技術」から「お金と戦略」へと少しシフトし、 特許切れ(パテントクリフ)とADC争奪戦の関係に焦点を当てます。
・なぜビッグファーマは、従来の小分子やバイオ抗体だけではなく、ADCを次の10年の柱として位置づけ始めているのか。
・2025〜2030年前後に訪れる大規模なパテントクリフを、各社はどう埋めようとしているのか。
・ADCディールやM&Aは、単なる「良い案件の争奪戦」ではなく、どのようなポートフォリオ戦略の結果として生まれているのか。
入門読者には「特許切れとADC」をセットで理解するための基本地図を、 製薬・VC・コンサルなどの実務家には、ADC案件をポートフォリオの中でどう位置づけるかの「考え方の軸」を提供することを目指します。
パテントクリフとは何か:なぜここまで経営を揺らすのか
特許切れがもたらす売上の「崖」
まずは前提となるパテントクリフのイメージを共有しておきます。 特許期間が満了した医薬品には、ジェネリック(後発医薬品)やバイオシミラーが参入します。 価格低下とシェア侵食によって、元のオリジナル製品の売上は数年のうちに急落するのが一般的です。 売上推移をグラフ化すると、特許切れを境に崖(クリフ)のように落ち込むことから、この名前が使われています。
特許切れの影響は、単に「一つの製品の売上が減る」というレベルにとどまりません。 ブロックバスター(年商数千億〜1兆円クラス)の場合、
- 企業全体の売上・利益率を大きく押し下げる
- 研究開発投資やM&A余力にも影響する
- 株式市場からの評価(株価・時価総額)にも直結する
といった波及効果を伴います。 そのため、ビッグファーマは「特許が切れた瞬間に落ちる売上」を、事前にどの程度埋めておけるかを常に計算しながら動いています。
パテントクリフは「いつ・どのくらい」来るのか
2025年時点を起点にすると、多くのグローバル大手は、 2020年代後半〜2030年代初頭にかけて、免疫チェックポイント阻害薬や代謝疾患治療薬など 複数の大型品目の特許切れを抱えています。
企業によって具体的な品目やタイミングは異なりますが、
・ある年に数千億〜1兆円規模の売上が減少する
・それが複数年連続で起こり得る
という「売上の谷」が、ほぼすべてのビッグファーマにとって現実的なシナリオです。
この「谷」を埋めるために、各社は
- 既存製品のライフサイクルマネジメント(新剤形・新投与経路・新併用など)
- 社内パイプラインの強化(自社創薬・開発の加速)
- M&A・ライセンスディールによる外部パイプラインの取り込み
といった手段を組み合わせます。 この中で、ADCは「外部取り込み」における最重要テーマの1つになりつつあります。
なぜ「ADC」がパテントクリフ対応の候補に選ばれたのか
1つのモダリティで「多腫瘍+高単価」を狙える構造
パテントクリフを埋めるための新薬には、大きく3つの条件が求められます。
- ①十分に大きな売上ポテンシャル(対象患者数 × 薬価 × 投与期間)
- ②比較的読みやすいリスクプロファイル(成功確率・毒性の予測可能性)
- ③ポートフォリオ全体の中での拡張性・継続性(シリーズ展開の余地)
ADCは、この3条件を同時にある程度満たし得るモダリティとして浮上してきました。
・複数の固形がん・血液がんに跨る適応拡大が可能である(ターゲット次第で腫瘍横断的展開も視野)
・高額なオンコロジー領域であり、適応を積み上げることで売上ポテンシャルが指数的に膨らむ
・Enhertuなど成功例が出てきたことで、モダリティとしての「成功のパターン」と「注意点」が見えてきた
言い換えると、ADCは「1つのモダリティで複数の売上柱を立てやすい」という意味で、 パテントクリフ対策として魅力的なプラットフォームになりつつあります。
成功パターンが見えたことで、「ゼロからの賭け」ではなくなった
第2回でも触れたように、Enhertu世代のADCが示したのは、 単に1つの製品の成功だけではなく、
- Topo-I系ペイロード+バイスタンダー効果による患者層拡大
- 複数腫瘍種への展開
- 規制・医療現場・ペイヤー側の「学習」が進んだ状態での追加ADCの開発
というモダリティとしての「成功の型」でした。
ビッグファーマにとってこれは、「完全に未知のモダリティに賭ける」のではなく、 「一定の成功パターンと規制のレールが見えているモダリティで、拡張性のあるポートフォリオを組む」という選択肢が手に入ったことを意味します。
小分子・IO・CAR-Tでは埋めきれないギャップ
既存のモダリティが大きな成果を上げてきたからこそ、「それでもなお残る穴」が明確になってきています。
- IOの反応率が限定的な腫瘍タイプ・患者サブセット
- 小分子や抗体単剤では薬剤耐性が出やすいケース
- CAR-T等では現実的にアクセスしづらい固形がん
こうした領域に対して、抗体の選択性+ペイロードの強さを持つADCは、 「残りのパズルのピース」を埋める候補として位置づけられます。
パテントクリフを「数値として埋める」だけでなく、 オンコロジーポートフォリオ全体の空白をどう埋めるか——という観点から見ても、 ADCは戦略上の重要度を高めています。
パテントクリフ×ADC:ビッグファーマの典型パターン
パターン1:大型ADC企業の買収で「まるごと埋めに行く」
もっとも分かりやすいのは、 「ADCパイプラインや技術プラットフォームをまとめて抱える企業を、M&Aで取りに行く」パターンです。
・既に承認済みのADCを1本以上持つ
・後続に複数のADCパイプライン(第2・第3世代候補)が並んでいる
・技術プラットフォーム(コンジュゲーション技術、独自ペイロードなど)を持つ
といった企業は、「1本ずつライセンスを取る」よりも、 企業ごと買収してしまった方がシナジーを取りやすいと判断されることがあります。
このパターンは、パテントクリフのインパクトが特に大きい企業が取りやすい戦略です。 巨額のキャッシュや株式交換を用いて、一気にポートフォリオの穴を埋めに行くイメージです。
パターン2:個別ADCの大型ライセンスで「モジュール的に積み上げる」
もう一つのパターンは、 特定のADC(またはADC群)について地域・適応別の権利を取得する大型ライセンスです。
- 自社の既存オンコロジー領域とシナジーが高い標的・腫瘍種に絞ってライセンス
- 将来の適応拡大(追加腫瘍種)や併用療法まで見込んだ契約設計
- アップフロント+マイルストン+ロイヤルティの組み合わせによるリスク分散
などを通じて、パテントクリフによって空く売上を「モジュール的に」置き換えていく戦略です。
M&Aに比べて初期のキャッシュアウトを抑えやすく、他モダリティ(IO、小分子、細胞治療など)とのバランスも取りやすいのが特徴です。 一方で、権利構造が複雑になりやすく、パートナーとの開発方針のすり合わせが重要になります。
パターン3:自社プラットフォーム+外部パートナーの「ハイブリッド」
第三のパターンは、自社でADCプラットフォーム(抗体・ペイロード・リンカー技術など)を構築しつつ、
- 特定のターゲットや腫瘍種は外部バイオとの共同開発で加速
- 一部は自社創薬・他はライセンスインで多様なパイプラインを構成
するといったハイブリッド型の戦略です。
この場合、パテントクリフを埋めるのは単一のADCではなく、「ADCの束」です。 ・社内ADC(100%自社)
・共同開発ADC(コスト・権利をシェア)
・ライセンスインADC(地域限定・適応限定など)
を組み合わせて、「ADCクラスとして年間数千億〜1兆円規模」を目指す考え方です。
2025年以降のADCディールを読む:数字の裏にある「埋めたい穴」
ディールサイズだけを追わない:売上ギャップとの相対で見る
ニュースヘッドラインでは、「○○社がADC企業を数兆円で買収」といった数字が目立ちますが、 実務的には「その企業のパテントクリフの大きさ」と比較してどうかを見る必要があります。
仮に、今後5〜7年で年間5,000億円分の売上が消えると見込まれている企業が、 ADCポートフォリオからピーク時3,000〜4,000億円規模の売上を期待できると判断すれば、 数兆円のM&A・ライセンス投資は決して「高すぎる」わけではありません。
むしろ、
- 自社パイプラインだけでは同水準の売上を作れる見込みが薄い
- ADC以外のモダリティで、同程度の成功確率と市場規模を持つ候補が少ない
という状況においては、「ADCで埋めに行く」という選択が合理的であることも多々あります。
「単一品目」ではなく「プラットフォーム」として評価されているか
ADCディールを評価する際のもう一つのポイントは、 「単一の既存品」への支払いなのか、「プラットフォーム+パイプライン」への投資なのかを見分けることです。
・既に承認済みのADCからのキャッシュフロー
・第2・第3波としてのパイプライン(同一プラットフォーム上の後続ADC)
・技術プラットフォーム(サイトスペシフィックコンジュゲーション、独自ペイロード、製造ノウハウ)
これらがひとまとめに評価されている場合、 表面的には「高額ディール」に見えても、企業にとっては 「次の10年分の選択肢を購入している」構図になっていることがあります。
逆に、単一ADCへのライセンスに高額アップフロントを支払っているように見えるディールでも、 契約書の中身をよく見ると、
- 追加適応やコンビネーション領域に関するオプション
- プラットフォームの一部技術へのアクセス権
などを含んでいるケースもあります。
2030年前後に向けた「ADCの飽和リスク」とどう向き合うか
一方で、2025年時点から先を見通すと、
- 特定のターゲット(例:HER2、TROP2など)へのADCが過密になる
- 同一適応での競合が増え、実際の市場シェアが事前予測より小さくなる
- 支払者(ペイヤー)がクラス内価格交渉を強める
といった「ADC飽和リスク」も意識され始めています。
このリスクに対しては、
- クラス内での差別化ポイント(有効性・安全性・投与スケジュール・対象集団)を明確にする
- 特定適応への一点集中ではなく、複数腫瘍種・ラインに分散させたポートフォリオを組む
- ADC以外のモダリティ(双特異抗体、細胞治療など)との組み合わせで差別化する
といった戦略が必要になります。 パテントクリフを埋めるためにADCに依存しすぎると、 「全社としてADCに過度に傾いたポートフォリオ」になってしまう危険もあるため、 各社はバランスを取りながらADCへの投資比率を決めているのが実情です。
VC・コンサルの視点:ADC案件を「パテントクリフ文脈」で評価する
VC:エグジット先のパテントクリフ構造を見抜く
VCの立場からADCスタートアップを評価する際、 単に「ADCのサイエンスが良いかどうか」だけでなく、 「将来エグジット先になり得るビッグファーマのパテントクリフ構造」を見ることが重要になります。
- どの企業が、どのタイミングで、どのくらいの売上ギャップを抱えているか
- その企業のオンコロジーポートフォリオの中で、自社ADCがどう位置づけられる可能性があるか
- 単品の穴埋めなのか、ADCプラットフォーム全体としての価値なのか
こうした観点から逆算すると、「どの適応・エビデンスを、どのタイミングで揃えるとディールが成立しやすいか」という絵が見えやすくなります。
コンサル:クライアントの「埋めたいギャップ」を可視化する
コンサルティングファームが製薬企業からADC戦略の相談を受ける場合、
- クライアントのパテントクリフと売上ギャップを時系列で可視化
- 既存パイプラインの埋め能力(確率調整した期待売上)を試算
- ADCを含む各モダリティごとに「どのくらい埋める役割」を期待するのかを整理
といった作業が基礎になります。 そのうえで、
- 「ADC企業の買収」 vs 「個別ADCライセンス」 vs 「自社ADCプラットフォーム構築」
- オンコロジー領域全体の中でのADC比率をどの水準まで許容するか
といったオプションを比較検討し、「ADCにどの程度ベットすべきか」という経営課題に答えていきます。
私の考察
パテントクリフとADC争奪戦を並べてみると、両者は決して偶然に同時発生しているわけではなく、 「次の10年の収益とポートフォリオの形をどう設計するか」という問いに対する、一つの回答としてADCが選ばれていることが見えてきます。
個々のADC案件だけを見ると、「また大型ディールが出た」「M&A価格が高い」といった印象に引きずられがちですが、 その背後には各社固有の「埋めたい売上ギャップ」と「描きたいオンコロジー戦略」があります。 ADCは、そのギャップを埋めるための強力なツールである一方で、 過度に依存すると「ADC偏重ポートフォリオ」という新たなリスクも生む両刃の剣です。
私自身は、ADCが今後10年のオンコロジーを支える一つの柱になることはほぼ確実だと考えていますが、 それは「ADCさえあれば良い」という意味ではありません。 むしろ、ADCを通じて見えてくるのは、モダリティ間のポートフォリオバランスと、パテントクリフを見据えた長期設計の重要性です。 次回の第4回では、実際のADCディール(M&A・ライセンス・CDMO契約など)をもう少し具体的に分解し、 数字の裏にある戦略と、非専門家が見るべきチェックポイントを整理していきたいと思います。
本記事は、Morningglorysciencesチームによって編集されています。
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