ここ最近数ヶ月の大型ファーマディールを眺めると、オンコロジーや肥満・代謝領域と並んで、じわじわと存在感を増しているのが呼吸器・感染症クラスターです。慢性閉塞性肺疾患(COPD)、喘息、希少肺疾患、さらにはインフルエンザなどのウイルス感染症に対して、大型の買収・提携が相次いでいます。これは単なる「ポートフォリオの穴埋め」ではなく、心肺・免疫・感染症をまたぐ長期戦略として理解すると、全体像が見えやすくなります。
本記事は「ここ最近数ヶ月の大型ファーマディール総覧シリーズ」の第4回として、呼吸器・感染症領域にフォーカスします。特に、
- Merck – Verona Pharma:COPD 吸入薬 Ohtuvayre を中核とする約100億ドル規模の買収ディール
- GSK – Aiolos Bio:長時間作用型 TSLP 抗体 AIO-001 を狙った喘息・炎症性疾患向け買収
- Sanofi – Inhibrx:α1アンチトリプシン欠乏症(AATD)向け INBRX-101(SAR447537)獲得の希少肺疾患ディール
- Merck – Cidara Therapeutics:インフルエンザ予防を狙う抗ウイルス薬 CD388 を中核とする大型感染症ディール
を念頭に置きながら、呼吸器・感染症という一見バラバラな領域が、どのように「レイヤー」として組み上がっているのかを整理していきます。
1. なぜ今、呼吸器・感染症クラスターなのか
1-1. 高齢化と慢性呼吸器疾患の増加
COPD や難治性喘息といった慢性呼吸器疾患は、世界的な高齢化と喫煙歴、環境要因の影響を受けて、患者数・医療費ともに増加しています。特に COPD は、
- 長期にわたる症状と生活の質(QOL)の低下
- 急性増悪による入院リスクと医療費の増大
- 心血管・代謝合併症との密接な関係
といった点から、単なる「肺の病気」という枠を超えた負担となっています。Merck による Verona 買収は、こうした背景のもとで、呼吸器を長期的な成長ドライバーのひとつとして据え直す動きと捉えられます。
1-2. パンデミック経験後の「静かな優先度上昇」
COVID-19 パンデミックを経て、各社の感染症・呼吸器ポートフォリオに対する見方も変わりました。パンデミック期の爆発的な需要が一段落した後も、
- インフルエンザ、RSウイルスなどの季節性ウイルス
- 免疫不全患者の増加と新興感染症リスク
- 抗菌薬耐性(AMR)への長期的な備え
といったテーマが残り続け、パンデミック前よりも高い「ベースラインの優先度」として維持されています。Merck による Cidara 買収は、まさにこうしたパンデミック後の感染症戦略の一例と言えます。
2. Merck – Verona Pharma:COPD を軸にした心肺ポートフォリオの再設計
2-1. Ohtuvayre が意味するもの
Merck による Verona 買収は、約100億ドル規模というインパクトあるディールです。Verona の中核資産である吸入薬 Ohtuvayre は、COPD 向けに米国承認を取得済みで、すでに処方が進みつつあります。
- COPD 患者における気道の閉塞・症状を改善する新規作用機序
- 非嚢胞性線維症気管支拡張症など、他の肺疾患への展開可能性
- Keytruda 特許切れを見据えた収益源の多様化
といった観点から、このディールは Merck の心肺領域全体の再構成の一部として理解できます。
2-2. 心血管・代謝とのつながり
COPD 患者では、心血管疾患や代謝疾患の合併が非常に多く、
- 呼吸機能の悪化 → 活動量低下 → 代謝悪化・心血管リスク増大
- 全身性炎症 → 動脈硬化や心不全のリスク増加
といった悪循環が問題となります。Merck は、心血管薬・免疫オンコロジー薬に加えて、COPD という慢性の肺の入り口を押さえることで、長期的な心肺ポートフォリオを組み立てようとしているように見えます。
2-3. 投資家目線でのポイント
投資家や事業開発の視点からは、このディールは単に「COPD 市場への参入」にとどまりません。
- 既存の治療薬が多い領域で、どこまで差別化できるか
- 実際のプライマリケア現場で、どのライン・どの患者層に食い込めるか
- 心血管・代謝領域とのクロスセル(患者の重なり)をどう設計するか
といった点が、ディール評価の鍵になります。ここ最近数ヶ月の呼吸器ディールの中でも、Merck–Verona は特に「心肺ポートフォリオ」の文脈で読むと理解しやすくなります。
3. GSK – Aiolos Bio:半年ごとの長時間作用型バイオで喘息治療を再定義する試み
3-1. TSLP 抗体 AIO-001 のポテンシャル
GSK による Aiolos Bio 買収は、最大14億ドル規模のディールであり、AIO-001 という長時間作用型の TSLP 抗体を取得することが主目的です。AIO-001 は、6カ月に1回の投与も視野に入る抗体として、難治性喘息などへの適応が期待されています。
TSLP は気道炎症に関与するサイトカインであり、その阻害は喘息の増悪抑制や症状コントロールに寄与することが示されています。既に他社からも TSLP 抗体が登場していますが、AIO-001 の投与間隔の長さは大きな差別化ポイントとなり得ます。
3-2. 「頻度を減らす」がもたらす意味
呼吸器領域、とくに生物学的製剤では、投与頻度が患者のアドヒアランスと医療リソースに直結します。
- 月1回 → 2〜3カ月に1回 → 半年に1回
といった頻度の違いは、
- 患者の通院負担・仕事や学校との両立
- 医療機関の外来・注射室のキャパシティ
- 長期的な治療継続率
に大きな影響を与えます。GSK–Aiolos のディールは、「効き目」のみならず、投与頻度そのものを競争軸にする流れを象徴していると見ることもできます。
3-3. 炎症性疾患全体への波及
AIO-001 のターゲットは呼吸器ですが、TSLP 経路は他のアレルギー性・炎症性疾患とも関係しています。そのため、このディールは、
- 難治性喘息を起点として
- アトピー性疾患・鼻茸・他のアレルギー性疾患などへの拡張余地
も併せ持っており、呼吸器をハブにした炎症・免疫ポートフォリオの拡張としても読むことができます。
4. Sanofi – Inhibrx:希少肺疾患 α1アンチトリプシン欠乏症(AATD)への集中投資
4-1. INBRX-101(SAR447537)と希少肺疾患
Sanofi による Inhibrx 買収は、最大22億ドル規模の取引であり、主な目的は AATD 向けの INBRX-101(現 SAR447537)の取得です。AATD は遺伝性の希少疾患で、肺気腫や肝障害を引き起こすことが知られています。
INBRX-101 は、既存の補充療法と比較して、より高い血中濃度維持や投与頻度の改善が期待されているバイオ製剤であり、希少肺疾患領域における新しいスタンダード候補と目されています。
4-2. 希少疾患であっても「呼吸器ポートフォリオ」の一部
希少疾患領域のディールは、規模だけ見るとオンコロジーや肥満領域に比べて小さく見えることがあります。しかし、AATD のような希少肺疾患は、
- 高い未充足ニーズ
- 専門施設・専門医を中心とした明確な診療ネットワーク
- プライシングと長期フォローアップを含めた安定的な収益構造
などの特性を持ち、呼吸器ポートフォリオの中で戦略的なニッチを形成します。Sanofi–Inhibrx のディールは、
- COPD・喘息などの「大きな肺疾患」
- AATD のような「希少だが重い肺疾患」
の両方を押さえにいく動きの一部と見ることができます。
5. Merck – Cidara Therapeutics:インフルエンザ予防薬で「感染症シーズン」の前線を取りに行く
5-1. CD388 とインフルエンザ予防
Merck による Cidara 買収は、インフルエンザ予防を狙う長時間作用型抗ウイルス薬 CD388(MRK-CD388)を中核とするディールであり、約90億ドル規模と報じられています。CD388 は現在、第3相試験が進行中であり、季節性インフルエンザの感染予防において「初のクラス」候補とされています。
5-2. ワクチンと抗ウイルス薬の組み合わせ戦略
インフルエンザ対策は、これまでワクチンが中心でしたが、ワクチン単独ではカバーしきれない部分があります。
- 免疫不全患者や高齢者でのワクチン効果の限界
- 株予測のミスマッチによるワクチン効果のばらつき
- 接種を希望しない/受けられない患者層の存在
長時間作用型の予防用抗ウイルス薬が加わることで、
- ハイリスク患者に対する追加的な防御層
- 集団施設・医療機関などでのクラスター対策
といった新しい選択肢が生まれます。Merck–Cidara のディールは、ワクチンと抗ウイルス薬を組み合わせた「多層防御」という考え方を強く意識したものと読むことができます。
6. 呼吸器・感染症に共通する3つのテーマ
6-1. 「季節性」と「慢性」をまたぐポートフォリオ設計
呼吸器・感染症領域の特徴のひとつは、
- 季節性インフルエンザやRSウイルスなど、季節性・急性感染症
- COPD・喘息・希少肺疾患など、慢性疾患
が同じ肺・気道を舞台に共存していることです。ここ最近数ヶ月のディールは、
- Merck–Verona による慢性 COPD 領域の強化
- Merck–Cidara によるインフルエンザ予防という季節性リスクの制御
のように、「慢性」と「季節性」を両方押さえる設計になっている点が特徴的です。
6-2. 長時間作用型モダリティへのシフト
GSK–Aiolos、Sanofi–Inhibrx、Merck–Cidara など、呼吸器・感染症ディールには長時間作用型のモダリティが多く含まれています。
- 半年に1回のバイオ(AIO-001)
- 投与頻度を抑えた希少疾患治療薬(INBRX-101)
- シーズン前に投与する長時間作用型抗ウイルス薬(CD388)
これは、単に「便利になる」というだけでなく、
- アドヒアランスの向上
- 医療リソースの効率的な配分
- 集団レベルでの感染症リスク管理
といった観点から、非常に大きな戦略的意味を持ちます。
6-3. 心血管・代謝・免疫とのクロストーク
呼吸器疾患や感染症は、単独で存在することは少なく、
- COPD と心血管疾患・代謝疾患の合併
- 感染症と免疫抑制状態・がん治療との関係
など、他領域とのクロストークが不可避です。Merck–Verona や Sanofi–Inhibrx のようなディールは、こうしたクロストークを前提にした心肺・代謝・免疫をまたぐポートフォリオの一部として考えると、狙いが理解しやすくなります。
7. 投資家・事業開発担当から見た呼吸器・感染症ディールの読み解き方
7-1. 「シーズン対応」か「通年対応」かを見極める
ディール対象のアセットが、
- インフルエンザ予防のようなシーズン対応型なのか
- COPD・喘息のような通年の慢性疾患対応型なのか
によって、収益構造や市場浸透のパターンは大きく異なります。前者はシーズン前後の需要が集中しやすく、後者は長期にわたる定常収益に近い構造になります。
7-2. 「肺」だけを見るか、「全身リスク」を見るか
もうひとつ重要なのは、そのアセットが
- 肺機能や症状の改善だけを主眼としているのか
- 心血管イベント、入院リスク、全身炎症など全身リスクをどこまで変え得るのか
という視点です。後者であればあるほど、CVRM やオンコロジーとの連携も視野に入ってきます。ここ最近数ヶ月の大型ディールは、多くが後者に寄った発想で設計されているように見えます。
8. 研究者・臨床医・スタートアップにとっての示唆
- 研究者にとって: 呼吸器・感染症領域の研究は、気道上皮や免疫細胞だけでなく、心血管系・代謝系との連関をどう解像するかが鍵になりつつあります。長時間作用型モダリティや、肺と全身炎症のクロストークを意識した研究テーマが、今後ますます重要になるでしょう。
- 臨床医にとって: COPD・喘息・希少肺疾患・感染症対策を、それぞれ個別に考えるのではなく、「その患者さんの心肺・代謝リスク全体をどう下げていくか」という視点が求められます。季節ごとの感染症リスクと、通年の慢性疾患管理をどう組み合わせるかが実務的な課題になります。
- スタートアップにとって: 「新しい喘息薬」や「新しい抗ウイルス薬」というラベルだけではなく、メガファーマの心肺・感染症ポートフォリオのどのレイヤーを埋めるのか、あるいはどのレイヤーを新しく作るのか、というストーリーが重要になります。長時間作用型や希少疾患など、ニッチだが戦略的なポジションを狙う余地も十分に残されています。
9. 今日の私の視点と今後の展望
ここ最近数ヶ月の呼吸器・感染症ディールを並べてみると、「肺の病気」と「感染症」を別々に扱っていた時代から、かなり風景が変わってきているように感じます。COPD、喘息、希少肺疾患、インフルエンザ——それぞれの領域で個別のイノベーションが進みながらも、資本の動きは明らかに「心肺・免疫・代謝をまたいだリスク管理」という大きな絵を描き始めています。長時間作用型モダリティや季節性と通年性を組み合わせたポートフォリオは、その絵を具体化するためのパーツのひとつなのだろうと思います。
一方、患者さんや現場の医療者にとっては、新しい薬が増えるほど、選択肢は増えるが意思決定の負担も増えていきます。どの薬をどのタイミングで、どのくらいの期間使うのか——その判断は、生活や仕事、家族との時間にも直結します。だからこそ、開発や投資の側にいる人間が、肺機能の数字やイベント発生率だけでなく、「この治療を選んだときの生活」を具体的にイメージすることが、これからの呼吸器・感染症領域ではますます重要になると感じます。本シリーズの第4回が、そうした視点でディールを読み解くきっかけになれば嬉しく思います。
この記事はMorningglorysciences編集部によって制作されました。
関連記事



コメント